Charlie

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身長は175cmはあるだろう。名前はチャーリーだけど、女性です。 ガッチリして、男っぽい、声も大きい。baseball capを被って黙々と教えてもらった技法を使って成形させる。大きな瞳は愛嬌がある。何をやっているか聞いてみた。弁護士でも、クリミナルロイヤー、刑事事件の専門弁護士らしい。 バンクーバーは住みやすい街として有名だが、恥ずかしいから隠したい、他の都市より遅れている部分もある。 それはある地域のこと。ビジネスオフィスやレストランが立ち並ぶ中心街からほど近くにその地域はある。ゾンビ映画の撮影でもしているかのような異様な雰囲気な場所。ジャンキー(薬物依存の人たち)が集まり、夜になると乱痴気騒ぎになる。この地域の夜の路上で出会う約6−7割が普通の状態ではない。夜にこの地域を歩いている時、人間がなぜこんなポーズで立つことができるのか、どうしても信じられない動きをする人たちを何人も見た。地面すれすれに浮いているのかともったら、膝をまげ、片足のつま先だけで、支えていた。意味もなくポーズをとっている。何を言っているか分からない。 怖いけれど、生命の危険を感じたり、物を取られたりと言うことはないが、まさしくゾンビ映画の中にいるような感覚といえば、想像しやすいと思う。北米でも、こんなところは他に無いらしく、ヘルシーでクリーンな街、バンクーバーのまさしく恥部だ。一箇所に集めておいた方が、管理がしやすいからということだ。チャーリーは、この地域で起きた様々な事件の法定弁護士をしているという。 陶芸スタジオでは通常のクラスの他に一回90分のリクリエーション目的のクラスがあるが、スキルを上げる通常クラスとは違い、デートや遊びで来るお客様が多い。娯楽目的だから当然、こちらの言うことを聞かない人もいて、教えたことは無視して、自分勝手にやって、いざそれが通用しないと、なぜ自分にできないのかと不満を漏らすワガママもいる。こちらもジョークを言いながらなだめすかして、笑顔で帰ってもらうが、”Customer is always right”が少しアンフェアに感じる。お互いに紳士的であってこそのフェア=rightではないか。アンハッピーなお客になるべくハッピーに陶芸を楽しんでもらって、逸脱しない範囲でこちらの言うことも聞いてもらえるかの勝負だ。笑顔で対応するが、消耗することもある。そんな僕の様子を黙って見ていたチャーリーは片付けしながら次のような話をした。 「私の目標はタクシー運転手のような境地で働けるようになることなの」と。僕「何それ?」 チャーリー「タクシー運転手はお客を拾ったら、なぜそこに行きたいなどと聞かないでしょ。乗せて、何も聞かずに安全にお客さんを行き先まで運んでお金をもらうの」 僕「?」 チャーリー「それが目標」「私のクライアントはだいたい犯罪者だけど弁護士をつける権利があるでしょう。彼らが嘘をついていると分かって有罪だと感じても、弁護するのが私の仕事なの」 「money talks」という言葉がある。全てお金を払うことで片がつくということ。 日本人の僕は、教育のせいもあってお金が全てという考えは受け入れ難く思っていた。稼ぐためだけの仕事は汚い、世の中お金じゃないと嘯いたりしていた。しかし「お金は信用の物差し」と考えるとどうだろう。経済行為はお金という”信用の物差し”で自分にレバレッジをかける行為とみなすと、稼ぐこととはいい仕事をして、他の人にとってもその人が大切だ応援したいと思ってもらうこと。たくさんあるチョイスの中から、この人に払って、サービスを受けたい。いい仕事をすれば、信用を生み、次の仕事につながる、仕事があれば、社員やその家族を食べさせていける。お金を介して自分の信用を積み上げるゲームのようなもの。そう考えるとお金自体には綺麗も汚いもない。信用の物差しは長ければ長いほど、レバレッジがかかるから、どんどん、良い方向に行く。 彼女の信用は法が定めた、弁護すべき人を自分が持つ最大限の力で弁護することで決まる。弁護される人が悪人かどうかは、裁判官が判断する。自分は与えられた仕事に最善を尽くすだけ。その報酬を素直に受け取れる自分になりたい。チャーリーの言いたかったのはそういうことだったのだろう。 僕はタクシー運転手の境地にはまだ到達しないが。 チャーリーは掃除が大好きだ。クラスの終わりには自分の使った道具やテーブルを掃除するのだが、楽しそうに綺麗に掃除をする。他人の分までやりたがる。手伝おうとすると、「私の楽しみを奪わないで!」だ。掃除は結果が目に見えてわかるのでストレス解消になるそうだ。 ちょっとした話が深く考えるきっかけになる、僕を成長させてくれる。ありがとう。お互いがんばろうね。 チャーリー:粉引の鉢、料理が映える。  

Meg

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声が大きい。話し方ははっきりしているが早口、余計なことは言わないが、口を開くとマシンガンのように言葉が出てくる。食いついてくるのは化学と医療の話だ、ちゃんと話の最後にはオチもついていて、一緒にいる生徒さんたちも、聞いていて、勉強になるやら、楽しいやら。 4年前からほぼ毎週来るメグ。陶芸に向かう姿を観察することで、その人の性格を大概把握できることが多いが、彼女の集中力とプレッシャーをパワーに変える力には感服する。クラスが残り10分で、あと1つ作るかどうか迷ったときは必ずもう1つ作る方を選ぶ。そして、その日のどれよりもいいものを時間ギリギリで作る。プロのこちらも感服するくらいの集中力だ。プレッシャーをバネに集中力を高め、体はリラックスしているから、緊張感のあるいい器ができる。人生を豊かにするのは、「リスクを楽しめる心」と誰かが言っていた気がするが、それを実践しているメグ。僕も陶芸はできるが、他のことに応用できるかと言われれば、どうか。彼女はPhD(博士号)を持っているが、審査のテストは厳しく長期に亘るアカデミックな環境がメグの強さをつくったのか。 カナダ東部の特徴あるアクセントで有名なニューファンドランドが、メグの故郷だ。僕らと話すときは訛りは一切出ない。頭が良くて人情もあり、人がついてくるリーダー格。よく働き、よく遊ぶというが、彼女の場合も然り。 彫刻家の夫とアフリカのサバンナに1ヶ月のキャンプツアーに行く。お酒も相当いける方で、いつだったか酒好きのお客さんに連れられて、業界人が集まる、看板もない隠れたバーに行ったとき、「ヒデ、ヒデ!」と誰か遠くから叫んでいると思ったら、メグだった。 彼女の仕事はUBCというカナダでも一流の大学でアレルギーのリサーチャーを率いるリーダーだ。単に研究の結果を残すだけではなくて、予算をとってくるのも彼女の責任。年40億の予算で何十人ものリサーチャーの仕事を取れるかどうかは、彼女の筆一つにかかっているらしい。度胸も半端ない。 カナダでは社会的に男女がほぼ平等な扱いを受ける代わり、日本のように総合職を選ばずに結婚したら仕事をやめて、旦那に食わせてもらうから、それまで楽な仕事をして、適当に遊んでいたい女子みたいなのは、軽蔑される。心の底で本当はそうやって生きていきたい人もいると思うが、バカにされるから、日本のように口に出す人は少なくとも僕の周りにはいない。仕事も遊びもバリバリのメグ、より良い仕事環境を求めて大学の教授にキャリアアップを考えていた。 彼女ほど仕事ができて、学力も実績もあっても、カナダの大学で教授になるには並大抵のことではない。一つのスポットに何百人という応募があるのが当たり前、しかも、応募者全員博士号に実績ありのツワモノ揃いという。 ある日、クラスに来たメグが翌週休ませてくれという。国立大学の教授ポストに5次面接まで進んで、来週その最終面接だという。最終といっても、3日間缶詰で試験や面接、その中であらゆるプロセスを評価される。聞いただけで痩せるような話である。 数週間後、彼女に面接の様子を聞いて見ると、1日目はグループで質問に答えたり問題を解いたりしたらしい。2日目は各人2時間ずつの面接、3日目はご苦労さんの慰安で公園に行ったり、名所に案内されたりする。そして夜はディナーにご招待となったらしい。驚きと同時に北米の厳しさを感じたのは、最後の慰安を兼ねた教授連とのディナーで、お酒なども振舞われ、緊張仕切っていた心も緩んで、リラックスの会食になるのだが、それも隠された面接だったことだ。緊張仕切った心を一気に緩めると、隠していた自分の素がどうしても滲み出てしまうものだろうから。大学教授は仕事ができるだけでなく、私生活でもコントロールが求められると言うことか。面接の合否が出た、残念ながら今回は合格者なし。 1年後、メグはカナダの中堅都市の大学の教授として招かれることになった。前向きに生きると言うのは簡単だが、実際にやり抜くのは大変だ。妥協しないで納得するまでやり続ける根気とパッションの維持、失敗も楽しんで生きることができる彼女。子どものように純粋なのかもしれない。自分の人生に責任持てるのは自分だけ。自分の才能を信じてあげられるのも、夢に向かって諦めないで進み続けるのも、自分の人生を人生を楽しむことに繋がっているにちがいない。 メグの器   いぶし銀のぐい飲み